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感覚認識障害


という用語があるわけではないですが

施術でもテーマの一つにしている「感覚」

五感をはじめ、体じゅうの様々な感覚の認識

(ときに空間の認識や時間の認識なんてのも)

これら認識の障害というか難儀の代表格が

過敏 鈍麻

例えば、過敏

過剰反応するタイプ

普通に触られただけでもくすぐったい

たいした力で掴んでもいないのに痛い

少しの音でも騒音に感じる

など他にもいろいろ

普段、人の目や外からの評価をすごく気にしているのか?

外との隔たりを大げさにする事で自分を守っているのか?

過敏なのは当然考えもの

不憫なことに

たいていの人からめんどくさがられます

逆に、鈍麻

自分の感覚に鈍感なタイプ

鈍感な人から共通して感じるのは

自分のカラダなのに

まるで他人事のように感じている人が多く

口調もそういう感じの人が多いです

(なので施術してても結構つまらない)

日々の中で相対したくない何かでもあるのか?

わざわざ鈍感になって自分を守っているのか?

平気を装っていても

実際のカラダはそうは言っていないのに気づかず悪化する

そんな不憫な印象を抱かされます

「感覚」って、本当の目的は何なのでしょう?

受容器を介して脳に送られる「情報」ではあるけれど

全ての感覚は「自分を守るため」にあるわけです

よく皮膚や粘膜は

自分と外を隔てるバリアなんて言われたりしますが

感覚というのはなんだか

自己と非自己を隔てる、目には見えない境界線

のようにも感じます

もし境界線が曖昧な状態だと

どこまでが「自分」かも分かりづらい

ふだん用いている感覚と

カラダが持っている本来の感覚との間に

齟齬が生じたままの日々というのは

健康状態の低下やパフォーマンスの不調にとどまらず

なにか生き辛さにもつながっているのだと

施術を通してもよく感じます

本来の自分に戻して生きましょう!

そういえば、けっこう前に看板を新調したのでした

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